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3.11を振り返る
大地震から10日目。

3月11日最初の揺れ。品川の庁舎8階で通常通り机の前でパソコン作業中のことでした。耐震補強工事中の建物はさして高層でないにも関わらず相当揺れました。背の高い書類棚が倒れはしませんでしたが、ゴトッゴトッと踊るように暴れていたのが印象的です。その書棚近くの課長が転倒しそうな棚に気付かずにいたので「こっちへ」と手を引きました。揺れが収まってテレビを点けると東北地方が震源でかなりの震度だと。東京の震度はなかなか出ませんでしたが速報では「震度3」!?と出ましたが明らかにそんな震度ではない揺れでした(のちに「震度5強」に訂正)。フロアの窓ガラスが2枚割れ、外を見ると遠くで黒煙が立ち上っています。これは江東区のビルで火災があったことだとテレビでわかりました。

職場は職員の在席と安否確認。各職員は家族の安否確認。携帯がつながらないことを実感。妻の職場電話を登録しておらず・・夜まで一行につながりませんでした。固定電話もつながりにくい状況で保育園にはなんとかつながり、事務職員の「園児は全員無事です!お迎えは何時になっても構いませんので気をつけて!」の声はなんと心強かったことか。職場ではすぐさま対策本部設置。私の部署は被害状況の情報収集に明け暮れました。2月に防災訓練を実施したばかりだったのが功を奏し、本部設置はスムーズに行えました。そんな中、テレビからは町を飲み込む津波の映像。ただただ信じられない映像でした。

被害情報は道路の大渋滞とつながりにくい電話もあってなかなか報告があがってきませんでしたが、管内での被害は少ない見通しがたったこともあって、19時半(くらいだったと思う)対策本部の規模を縮小。電車が完全ストップしたため、遠方の職員は自動的に残ることとなり、徒歩、自転車で帰れるものは帰るようにとの指示。

妻とは夕方ようやく携帯がつながり(一回だけ)、徒歩で帰っているとのこと。ただ、保育園まで歩くのは時間が経つと思い、職場の普段使っていないボロ自転車を借りて帰宅しました。途中、幹線道路は車道は車、歩道は人の大渋滞。黙々と歩道を歩く姿が印象的でした。自転車は歩道を避け、車道の脇をバイクに譲りながら重たいペダルを必死に漕ぎました。夜の風は冷たく北風が向かい風となって行く手をさえぎります。自宅近くの世田谷線の踏切は電車が止まっているはずなのに遮断機が降りっぱなしだったのですが、警察官が遮断機を持ち上げて通してくれました。そして21時前、ようやく保育園到着。たくさんの園児がまだ待っていると考えていたら、残っていたのは娘入れてたった二人・・・!ラストではなかったものの、かなりさびしい思いをさせてしまいました。それでも泣くこともなく平静にしていた娘は立派に見えました。

その後娘と歩いて帰宅。妻も歩いて無事に辿りつきました。古いマンションゆえ、家の中もかなりの被害と恐れていたのですが、キッチンの棚からボウルや水筒が落ちていた程度で済みました。ただ、重い床下収納の引き出しが動いていたり、棚のものも落ちるまでいかずとも危ないものもあったので、相当揺れたことは想像できます。結局、電車が動かなかっただけで、家は停電も断水もなくガスが非常停止していた以外ほぼ無傷で安心しました。

これが11日のことです。ながながと書きましたが、これで「震度5強」なんですね。この程度の揺れは今でも余震で発生しているレベルです。「震度7」「震度6」・・・思考停止してしまいそうですが、現実を直視しなければなりません。

改めて感じたのはtwitterからの情報のすごさ。リツイートの力、情報の深さを実感しました。不正確な情報、デマ等ももちろんあると思いますが、阪神・淡路を経験された方のブログ、原発で働いた経験のある方のブログ、中にはこの地震を予見していた方!?など普通今までなら自分には届かなかったであろう情報も知ることができてとても参考になりました。募金の情報や停電時の暮らし方など、これから自分に何ができるかを考える上でも役に立っています。

今回はこのへんで。
節電、節電。
by riku_bun | 2011-03-20 16:01 | 日々のこと
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